water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

平成最後の、そして令和最後の最初の

 平成から令和へと年号が変わった5月の頭、ギリギリ間に合いそうだったので福島は古殿町の「越代の桜」(越代の桜[古殿町大久田] - water_sky’s waterbound diary)を見に行った。

 平成が終ること、そして令和がやって来たことに格別の感慨はない。すでに始まる前から令和を定義してしまおうと躍起になっている人もいるが、いったいどんな時代になるのかは、見当もつかないのだ。平成が日本における戦争という国難を遠ざけていた一方で、激動の時代であったことは間違いない。それをして感慨としてもいいのだが、その激動ぶりは僕の個人史とは微妙にリンクしない。

 ただ、記念の御朱印は、あ。いいな。俺も頂いとけばよかったかな~。とちょっと思った。ならば、私のこのブログならびに写真をオリジナルの御朱印ならぬ御写真に仕立て上げてしまおうという寸法である。仕立てられるのか。

 

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越代の桜

 久しぶりの訪問、相変わらずの威容でお出迎え。たくさんのカメラマンたちが取り囲んでなめるようにレンズを向ける中、どっしりと構えて地上を睥睨し、そして吹き抜ける風を受けて飛び立とうと空を少し見やっていた。

 

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 山の風はまだ冷たい。その風を全身に浴びて桜は身震いし、いよいよ花弁がばあっと空へ散っていく。その全てが無残にも地に落ちてしまうまでの刹那の時間、花びらは青空を自由に舞った。

 

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 気象庁に倣えば(下部リンク参照)、この桜は平成年間に開花~満開を迎えているので、平成最後の桜といえる(あくまで個人の観測の範囲内です)。同時に令和年間に入り咲いていた最初の桜であって、すなわち令和最後の最初の桜だ。これは原理的に最初というものが一度きりである以上、必ず最後であるということを何となく接続して言っているに過ぎない。始まりと終りが等価値であるというのは、そういうことである。平成最後の、そして令和最後の最初の桜。令和最初の最後の文士。令和最後の最初の破瓜。

 

togetter.com

 

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 そして令和最初の水汲みは、近くにある越代延命の清水(越代延命の清水[古殿町大久田]☆☆☆☆ - water_sky’s waterbound diary)となった。いつ来ても豊富な水量だが、この日は2つあるうちの1つの湧出口で約110L/min.という驚異的な値が計測された。持参した12リッターのポリタンクをたったの13秒足らずで満たした。汲果は12L×2+4L×12、計72L。

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  さあ、これから令和の時代はどんな桜を見せてくれるのでしょうか。楽しみですね。本当でしょうか。それでは、ごきげんよう

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