water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

秋山の駒桜[川俣町秋山]

 今年も福島の一本桜番付が発表になったとのことで。

 まあほぼ踏破済みかな。フッ。と多少得意げになって眺めていると、東の"大関"に「秋山の駒桜」というよく見かける桜の名前が。あれ、ここ行ったことないな。あれ、"三役"以上だと五つくらい行ってない所ある。何だ、全然踏破済みではないじゃないか。

 というわけで、行ってみました。秋山の駒桜。

秋山の駒桜

 川俣町の北西部、秋山地区の山中にあるこの桜、樹齢推定500年を超えるエドヒガンザクラで、幹回りも5mを超える雄大な桜。現地の看板には「小長石の駒桜」と書かれてあったが、当地の小字である「小長石」から採られているものと思われる。

 

 三方を山と木に囲まれた高台に立ち、開けた東側の下にある駐車場から歩いて上っていくことになる。ネットでこの桜を検索すると出てくる、朝霧に包まれた写真。そのドラマチックな光景をにわかに期待していたものの、霧など出る気配はなく一日カラッと晴れ上がりそうな空気だ。

 桜直下に立ち眺めていると、谷を挟んで桜と向かい合うように鎮座した女神山(標高599m)の端から朝陽が差し込んできた。

 高台および周辺はきれいに整備されていて、桜をゆっくり眺められる東屋があり、特に民家のある北側斜面は菜の花をはじめ多くの花や木が植えられ非常に華やか。また売店やトイレも完備、桜直下までは結構急な上りになっているため、比較的下からも眺められる展望室もある。

 秋山の駒桜は去年"西の大関"だったが、今年は"東"に配置となった。地域住民の方の環境整備が奏功したのだろう。"横綱"に君臨する桜はいずれも名うての実力者ならぬ実力桜だが、彼らに比べると地理や地形的にビハインドがあるにもかかわらず、桜の素晴らしさと地域住民の努力があって大関最高位の座を得た(今年”西の大関"に移った「合戦場のしだれ桜」は、昔桜の下にいた人に向かって「邪魔だよ!」と怒鳴ってたカメラおっちゃんがいるのを見たので印象が良くない。桜と全く無関係ですが)。他の大関である「戸津辺の桜」も「塩ノ崎の大桜」も地域ぐるみでの盛り上げが著しく、"大関"が実質的な"福島観光桜バトル"のもっともホットな部分であろうと思われる。今後もぜひ切磋琢磨してもらいたい(←誰目線?)。

 ゼッケン2番…? 何の馬だろうと思ったけれど特定のモデルがいるわけでもないみたい。

 残念ながら朝霧は出なかったものの、黎明の駒桜は美しく、大満足。霧に煙る姿は再チャレンジしたい。ほとんど寝ずに家を出る必要があるが…。また、福島の桜番付も"三役"のみならず"前頭"以下まだ行ったことのない桜は多いのでそちらも埋めていきたい。その時の気任せで出かけているのでコンプリートは当分先だろうけれど。

 

あなた、おまえ、夫婦桜[城里町御前山]

 茨城県北部の御前山といえば、「関東の嵐山」と呼ばれて名高い。何だか笑っちゃうようなネーミングだけどこれがまた結構似てるのだ。江戸時代に水戸藩が"御留山"として樹木の伐採を禁じたためブナの原生林や杉の巨木が今も残り、一年中鬱蒼とした山域は御前山大橋(あの赤くて古い橋です)から眺めると「わりと、ふーこーめいびー、たぶん」な景色である。

 そんな御前山地域だが、春には山の至るところにヤマザクラが咲きそれがまた風流なのだ。関東の吉野山と言ってもいいのではないかと個人的には思わないでもない。メイビー。しかし知られた一本桜は皆無である。なので先の情報には驚いた。何と樹齢200年にもなろうかという桜が発見されたという。

 詳細は「御前山と那珂川を活性化する会」に、また最近地元紙でも紹介されたそうなので、そちらに当たってもらえればと思うが、同会が御前山地域の豊富な観光資源をアピールしようと、白山と赤沢富士(登ったことがあるが山頂の展望はないものの日光連山がよく見える場所がある)とを結ぶ登山ルートの整備を行う中で2本のヤマザクラを見つけたとのこと。すわ大発見。と思った私も先日見に行ってみた(探索ルートについては省略。散歩感覚だと少々骨は折れます)。

 杉林に囲まれた(実際は杉林の中に埋もれていたのを同会の方々が開墾・整備した)山中にその桜はあった。確かに立派な幹の2本のヤマザクラだ。残念ながらすでに多くの花びらが散った後であり、今も小雨混じりの白い空に向かってはらはらと風に乗っていくところだった。

長寿夫婦桜

 写真左の桜が「こう」さん、右が「ふく」さんと名付けられている。何で…としばし考えはたと気づく。二人合わせて「幸福」ね! 同会によって「長寿夫婦桜」と名付けられたこの桜の他にも、近傍に「太郎」「次郎」また「和枝」という桜が、少し離れて「よしゑ桐」と、数多くの巨木が存在する。一帯は同会によってきれいに整備され、倒した木を利用してベンチなども設営されている。白山~赤沢富士の登山コースの中継地点でもあり、花見のみならず休憩にも最適なスポットとなるだろう。

 御前山の山中に突如現れた立派な桜の古木。桜としては僕のような闖入者が訪れるのは迷惑だろうが、古い巨木を眺める楽しみというのは幸福に近い。その幸福とは、今この瞬間、この世界に対して全く何の影響も及ぼさないであろう無益な存在、それが何百年と命を紡いできた事実、そのマクロとミクロのパースペクティヴの転換点に身を置くことだ。そのダイナミズムの前で、人間の価値観など全くの無益に等しい。だがそんなことを考えるのも意味を成さない生命の脱構築が古い巨木だ。茨城県北部に一対の桜が加わったことを寿ぎたいと思う。とはいえ樹齢200年といったらまだまだひよっこの部類ではないか。これから何百年と無事に命を紡いでいくことを願いたい。

 

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 ところで城里町の白山にはだいぶ昔に登ったことがあります。当時は登山道こそありましたがヤブに近いような箇所もあり、無謀にも真夏に登りましたが、なかなか面白かったのを覚えています。

 前述した赤沢富士からは、北西方面の日光連山が遠く望める。

 

トツ撃、戸津辺の桜だベ[矢祭町中井戸津辺]

 新年あけましておめでとうございます。永遠に続くように思われたコートの重みもあっけなく終り、春がやって来ました。とはいえ年々傾向を増していく、季節の変わり目のまだら模様化。どこまでが冬でどこからが春なのか、それとも夏なのか。あっけなく抜き捨てようとしたはずのコートも実はそっと小脇に抱え込んだまま、新たな生活にも今ひとつ踏ん切りがつかず戸惑い迷い…、そんな日々を送られている方も多いのではないでしょうか。私は40年がとこ毎日そんな暮らしです。

 でも季節の変わり目ってそもそも、そんなあやふやなものだったかもしれない。人の心も晴れたり曇ったり雨が泣き出したり。グラデーションで変わってゆくものでしょう。畑に適当に畝を上げて目見当で種を蒔くような、適当に目印をつけているようなもの。でもそうやって一年が回っていくものでもある。

 だったら桜を見なきゃ春始まらんやろ! ということで見に行きました、「戸津辺の桜」。

 当ブログの「福島の桜」カテゴリで一番最初に紹介したのが戸津辺の桜。福島県内でもっとも早く咲く一本桜として有名です。国道沿いに大きな看板が立っているのを目にしたことがある方も多いと思われますが、2024年版の福島県内「一本桜」番付では堂々西の大関にランクされています(一本桜...東横綱は「三春滝桜」 福島県内樹齢100年以上、24年番付:情報スクランブル365:福島民友新聞社 みんゆうNet)。

戸津辺の桜

 前日があいにくの雨だったのでどうかなと思いましたが、天頂部は花が落ちている(これは樹勢の問題か)もののほぼ満開。

 今年は桜を取り囲む木道が新しく設置され、そこを大勢の人たちが歩きながら「これができたばかりの木道か」「新しい木の香りがしていいね」などと言い合っていました。

 うかがったのは平日の午前中でしたが、ひっきりなしに見物客がやって来て大盛況。誘導員の方が4、5人いるのでえらい気の入りようだなと思いましたが、帰るころには駐車場が満杯で大混雑。こりゃ誘導員を配置しないと大変なことになるな…と実感しました。以前は土日だけだったように思いますが、一大観光スポットに成長したようですね。戸津辺の桜は樹齢600年超、幹回り18mと福島県内でも有数のエドヒガンザクラですが、ここは桜を愛でるというよりは、桜を愛でる人々を愛でる場所になりそうです。そう、誰もが重ったるいコートを脱ぎ捨てて、軽やかな春の訪れを眺めて楽しんでいるのでした。

 

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 柴田聡子。たまたま「後悔」のPVを観た時に異色のアーティストの登場に驚愕したものだったが、だが異色と言うべきではなく、生々しい一人の女の発露だった。それは今作「Your Favorite Things」にも通底していて、一人の人間の赤裸々な"現在"が刻み込まれている。いま変わりゆく、いまの私。どの曲もらしさが出ていて、一聴して分かるのはとにかく歌詞だろう。独特なワーディングはその言葉選びと接続、曲への乗せ方どれを取っても生々しさの傷跡が見受けられる。中でも「Reebok」。ここには"現在"を訴えるべき不安定なゆらぎが曲に貫かれている。

 繰返し現れる愉快と不安。永遠に近いほど弛緩しているのに、つねにその隣にははじけ飛んでしまいそうな緊張感があり、それが徹底的に描かれているのだ。柴田聡子本人のライナーノーツには「この曲のテーマは『シティーポップ』だった」「スムーズであることの良さ」、また誰かに寄り添うときの心情が書かれており、まさにこの曲のテーマそのものだなと思う。背中から巻きついてみたり、そのリーボック水が染みないの?と訊いてみたり、何げなく行う全てのことが、「痛むところに薬を塗って症状に対処していく」ための必死の努力であり、それが柴田聡子の表現する一人の人間の"現在"に重なり合う。シティーポップはその痛みと努力をいい感じに淡く目立たないものにしてくれる。だからシティーポップはたまらなく爽快で哀しい。

 

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 それでは今回は柴田聡子の「Reebok」を聴きながら、戸津辺の桜の残りの写真をご覧ください。今までだましだまし使ってきたオリンパスのレンズ12-60がぶっ壊れました。PLフィルターを付けるためフードを外そうと回したら、リング部ごとポキッと折れてしまった。まあ接着し直せば使えるけれど、そもそもレンズ内部にカビが発生しているのだった。描写そのものは14-54の方が好みだとの印象もあるのでそちらを買い直すか、システム自体を更新するか…(未だにオリンパスE-3を使っています)。まあそれも来る日曜日の桜花賞次第ではある。花は、花は、花は咲く。私は何を買うだろう…