water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

三月の水

 
 東日本大震災の1年後の秋、私は楢葉町の郭公山のふもとにある郭公水をめざしましたが、震災の影響により山へ続く道は途中で通行止めになっていました。

 結果的にも何も、それはたんなる物見遊山でしかなかったわけですが、前の年の晩秋に福島旅行をした折に通った浪江・大熊・楢葉・広野… それらを思い出しながら、私なりの福島の被災地を見てみたい。という率直かつ単純な気持ちで足を伸ばしてみたわけですが、荒涼とした無人の大地を見て、またその中に打ち棄てられたままの自動車を見て、それでもそこに見えたのは福島でした。私にはここが永遠に打ち棄てられたままの、いわゆる「死の街」として終っていくことは想像しがたい。

 そして実際に、実に多くの困難がありながらも、被災地は復興に向けて徐々に動きつつある。放射能汚染の問題は常に人々の心の奥深いところで、その安寧をおびやかすことでしょう。
 今日、というか11日の深夜、TBSラジオで「菊地成孔の粋な夜電波」が放送されました。聴いた人も多いでしょう。関連して私がツイッターでつぶやいたツイートにもたくさんの方がRTやFAVしてくださいました。第1シーズン最終回と並んで、後々まで"神回"として語られ続けることと思います。
 その内容とは、アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」を1時間、流し続けるというものでした。夜電波の第1シーズン最終回を聴くと分かりますが、ジョビンがこの曲を作ったのはあらゆる艱難辛苦が彼を襲っていた時期だそうで、言葉を連想的につむいでいく(おそらく彼の過去に結びついた言葉が羅列された)作詞は多分に精神分析的です。光とも闇ともつかぬ予兆と切断の繰り返しの最後に、唐突なほどに「これは予感/これは希望」という言葉が現れ、この曲は締められます。菊地さんが言うように、この曲が何かを仕組んだわけじゃない。我々が何かを仕組んだわけじゃない。ただ、あるがままにこの曲はすでにこうして存在し、そして私たちがそれと出合ったということです。

 ジョビンが曲の中に託したように、「大きな不幸と、そこからの復興」はあらゆる人がその一生のうちに抱え得る。被災地の復興は、そこに関わる人の心の復興でもあり、それと同時に、いや、全く関係ないところで、今を生きる私たちの心の復興と(全然関係ないということを通してすら)リンクしています。枝や、石ころや、切り株の腰掛けのように、足元のささやかなるものたちが、私たちの神々であり、水が流れることが、私たちの心の喜びであることを知るように、私たちの復興がかないますように。
 
(後日、楢葉町の「郭公水」に行きました→五月の光(郭公水)[楢葉町大谷]☆ - water_sky’s waterbound diary