water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

道標

 

 
大きく「向」の文字の下に、「右石塚町 左小松村」と彫られている。
石塚町と小松村は、現在どちらも城里町に含まれており、1955年に両者と西郷村の3つの町村が合併して常北町が発足、その常北町と桂村・七会村が2005年に合併して誕生したのが城里町
小松村は1889年から、石塚町は1919年からの発足なので、この道標は少なくとも1919〜55年の間に設置されたものだろう。それほど古いものではないが、55年の合併・常北町発足が2月11日であり、たまたまこの道標を見つけたのも同日だったのが面白かった。今日から61年前のことである。
 
江戸時代後期に儒学者・教育者として多くの有能な人材を送り出した加倉井砂山の墓や、彼の主宰した日新塾跡に近い。「右」は片側1車線に舗装され、藤井町を抜けて石塚に至る。「左」は集落を通る細い道で、ほどなくぶつかる地方道は西進して小松方面へ。その地方道を横断して道は集落の間を抜けていき、やがて藤井川に沿うように西へ進路を取り小松村へと至ったのだろう。断然気になるのは「左」の旧い道だ。機会があれば歩いてみたい。