water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

五月の光(郭公水)[楢葉町大谷]☆

 7年ぶりに(三月の水 - water_sky’s waterbound diary)、楢葉町へやって来た。前回来た時に見ることのできなかった「郭公水」に行くためである。この7年という期間がおかれたのには特に意味はなく、単に家から遠かったから。だって決して安くない高速代払わないとなかなか来らんないんだもん。

 だが心の内にはつねに思いを秘めていた、「郭公水行きたいなー」と。そしてついに念願かなった。しかし、である。7年という年月をいたずらに過ごしてきた私が見たものに、この楢葉の町で何が変わりつつあり、何が変わってしまったのかを、まざまざと見せ付けられることとなったのである。

 

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 前回来た際に郭公山を写真に収めたが、その時と全く同じアングルで撮ろうと思いその場所を探してぐるぐる回ったが、見つからない。それもそのはずで、僕が前回立っていたとおぼしき場所には、すでに真新しい巨大倉庫が設営されていた。

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 津波が押し寄せた後に草とススキが茫と茂るだけだった野原は至るところで工事が行われ、あるいはトラクターが入って耕され、すっかりその姿を変えようとしていた。すぐ背後の国道6号線は、工事車両をはじめとして往来の途切れることがないほど。

 国道から少し入ると、これまた新しいショッピングモールがあり、多くの人が集っている。被災者用の仮設住宅、そして点在する民家の中に蕎麦屋があって営業もしているみたい。海側では新しい道路を作るための大規模な工事が進められている。前回来た時に全くの無人だった家々は、少なからぬ人が戻ったようで、軒先には洗濯物が干されていた。

 問題は山積である。被災者という当事者に立たなければ分からない苦労がそこには山と積まれているはずだ。しかし、いち傍観者として再びここを訪れた僕が見た楢葉の町は、無責任にも、5月の雲ひとつない青空の下で全てが光にさらされて輝いていた。とにかく輝いていた。

 そんなわけで郭公山も輝いていた。待ってろよ、郭公水。

 

 乙次郎林道から郭公山登山口を目指す形で山に分け入っていくわけだが、よく踏み固められたダートと聞いてはいたけれどやはり慎重さは求められる細い道だ。ある区間では落石が多く、車を止めて撤去した。注意が肝要だ。ただ僕が乗っているのが貧弱な軽ということもあり、慎重さを忘れなければ概ね走りやすい道ではあるのだろう。乙次郎集落にも伸びており生活道路でもあるらしく(かつてはこの道が唯一の連絡手段だったそう)、また震災後も郭公山に登る人があり、往来は少なからずあるようだ。

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 そうして恐る恐る登っていくうちに、湧き水を発見! すわ、郭公水か? と思うも、何だか雰囲気が違う。

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 震災前の写真では地面に板が張ってあったり「郭公水」という銘板が据え付けられていたりで、ここよりもちゃんとしている。さらに上か…と、さらに林道を進む。するとほどなく郭公山登山口に到着。

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 あれ? と思いつつ、「駐車場→」という看板があるので、この先なのか…とさらに林道を詰めていくが、駐車場なんてどこにあるんだ…という細く危険な道が続く。もちろん郭公水も見つからない。どんどん下り始めて、どうやらこれは道を間違えたようだと判断するまでに、時間を食ってしまった。

 で、戻ってきて、この湧き水。結局のところ、これが「郭公水」のようだ。

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震災前に撮られた写真と比べると、赤い鳥居、紙垂の飾り物、湧出口の位置は確かに一致する。でも… あまりに荒廃していないか?

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 見つけた、これがおそらく「郭公水」の銘板の切れ端だ… ここが郭公水なのだ。写真の通り、鳥居は壊れ、銘版は遺失し、地面に設置してあったはずの踏み板もなくなり、湧出口の釜は落ち葉に埋もれてしまっている。7年という年月が僕に見せるもうひとつの姿が、これだった(7年前にはここまでたどり着けなかったが)。

 気を取り直して、水場に"取り付く"。湧出口は2つあるのだが、上から伸びている管から水はほぼ出ていない。下の口からは約4.8L/minの湧出が認められた。水の出は細い。ごくごく微量のごみが見られたが、これはビニール管内に付着したのが取れて混入したたぐいのものに見受けられる。味はすっきり、まろやかさに欠ける印象はあった。

 

 長いこと僕の心を魅了してやまなかった郭公水。だがその姿は皮肉にもその長さのうちに荒れ果て、文字通り山の一部へと戻っていく過程の有り様に思えた。これは言うまでもないが、震災を経て表面化した私たちの社会の、もうひとつの側面を表している。

 ハード面における「復興」のピッチは、富岡町に次いで大熊町の一部避難指示解除に伴って急加速しているように見える。しかし問題のソフト面に関しては、そもそも一口で言い表すのが困難な状況に、未だあるというよりも年を経るごとに強まっているように思える。ある家はおそらく震災後に建てられたのであろう真新しく、生活を新たにするのだという静かな決意が込められており、通りを隔てた向こうの家は、窓の一切をカーテンで締め切り、おそらく住民が二度と戻ることはないのであろう、またある家では塀のみを残し全て更地にしてしまった。

 このように、ソフト面つまり人々の生活における震災復興は、各人において程度や質そのもののグラデーションの差が日々大きくなり始めていることが、その達成をより難しいものにさせていく。ハード面つまり行政および国の施策はそれを大きくまとめ上げる形で行われるべきだろうが、「復興五輪」なんつって国が大々的にやり出したはいいが、そういうセンセーショナルなやり口がソフト面とハード面の乖離をことさら強調してしまっていることも影響しているように思えてならない。

 ただ確実に、どんな形であれ復興は着実に進んでおり、人々は戻り続けている。また途中立ち寄ったコンビニ(当然の話かもしれないが品揃えは普通のコンビニと全く同じで、営業時間が朝6時から夜8時までというのを除けば本当に普通のコンビニと変わらない)では、従業員がみなアジア系外国人であったという都市部と同じ現象を見るにつけ、一時的にではあるかもしれないが、ここには復興のリソースが集中していることを実感した*1

 つまり状況としては"フィフティー・フィフティー"が続いていくのだ。復興の良い側面、悪い側面が決して固定化することなく、形をつどに変えていきながら、また新しい面が次々生まれていくことを痛感した。良いことなのか悪いことなのかもよく分からないままに。そんな町を、5月の光がさんさんと照らし続けていた。

 そんな楢葉の町とコントラストを対にするように、山中でひっそりと朽ちていく郭公水。言うまでもないが、人の本質とは朽ちていくことにある。それでも私たちは町をビルドし、日に焼けた肌の浅黒い作業員たちが店に集い、飯を食い、酒を飲む。人は死ぬが、町には人が必要だ。

 

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郭公水(福島県楢葉町

湧出量:約4.8L/min 約3.46㌧/日

訪問:2019年5月

 

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 パット・メセニー。希望に満ちたメロディと祝祭の趣あるラストのチャントは、1日聴き続けてもまだ聴き足らない。これを聴きながら、5月の光が降り注ぐ楢葉、富岡、大熊の各町を走り抜けた。作業員や警察の方々本当にお疲れさまです。

*1:正確には富岡町のコンビニの話で、楢葉町のコンビニには立ち寄っていませんが、大きく復興のくくりで話として挙げさせていただきました