water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

延命水[大田原市某所]☆☆☆☆☆

 ためらいがちな雨が降ったり止んだり、久々に梅雨らしい季節も過ぎ去りつつあることは、ある朝目覚めたときの空気のざわめきでそうと知れた。やれやれ、また夏か。村上春樹を気取ろうとしなくたって、みんなそう思うに違いない。やれやれ、また夏がやって来るのだ。去年と少しも変わらない、そして全く違う夏が。何食わぬ顔で、素知らぬ顔で。全く見たことのない姿で。僕の知らない過去を抱えて。

 ここをどのように紹介すればいいかずっと考えあぐね、筆が進まなかった。しかし、すでにいくつかの夏が過ぎてしまっていて、また新しい夏がやって来てしまっていた。とりあえず、いつものようにだらだらと書いていきますかね。

 

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 栃木の田園地帯のへりにある集落の一角にぽつんと立つ看板を見つける。

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 自噴井…?「毎分200L湧出」…!? 半信半疑で奥へ進んでいくと、忽然と水が湧き出している。しかもその量が生半可なものでない。湧き出ているというより、排出されていると言った方が近い。

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 まるで8インチ砲のような野太いビニール管が井戸に取り付けられ、そこから大量の水が湧出、いや排出、いや噴出している。まさに「自噴井」!

 あたりは草木が茂り、近くの柿の木が水場を覆ってちょっとした日陰をつくっている。地主の方のものだろうか、手作りの灯篭や石碑が幾つも並び、歌や言葉が彫り込まれている。決して整備されているわけではないものの、日頃から人の手が入りきれいに手入れされていることがうかがえる。

 採水を試みる。4Lの焼酎ペットボトルだが、噴出の勢いに対して口が狭すぎて水がろくに入っていかない。適切な位置さえつかめば20秒もせずに満タンになるものの、ボトルは全身ずぶ濡れだ。水遊びにでも来た感覚で、このすさまじい勢いを少しでも押し返さんとばかりにボトルをかざしていく。次に12Lのタンク。こちらは口が広いので噴出する水を余すことなく汲み入れることができるが、余裕を感じている暇もなくあっという間にタンクはずっしりと重くなる。「毎分200L湧出」なのだから、たった3.6秒で満杯になることになる。3.6秒!

 水質もきわめて良好で、手をかざせば清冽。日光連山からの地下水が湧き出しているのではないだろうか。あまりに素晴らしい水量と水質、ひっそりとだが清潔に保たれたロケーション、ここが一目でお気に入りにならないはずがなかった。

 何度か通うようになったある日、地主の方と出会った。現在は他所へ越したのだが以前には家があり、その脇に井戸を掘ったのだが、ものすごい量の水が湧き出てきたのだとのこと。この辺り一帯(広い意味で那須平野)は田んぼに那須や日光の地下水を利用しており、ここもその一つだろう。群馬あたりから汲みに来る人もいるようだ。話しているうちに「持っていきなよ!」とカボチャを頂いた。勝手ながらいつも水を汲ませてもらっている、と言うと、快諾も頂いた。

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 冬場に訪れた際には、ビニ管の湧出口に上へ延長する管が取り付けられ、そこから水があふれ出るという珍しい光景を目にした。湧水量が多すぎて丸いコンクリの仕切りからあふれ出てしまい周囲が凍結するのを防ぐためだろうか。

 あくまで個人の土地ということになりそうだし、前回のエントリのような懸念もあるので場所についての詳細は控えるが、夏に訪れるには最高、というか夏という季節はこの湧き水のためにあるのではないかと思われるため、紹介せずにいられなかった次第。私のブログを読んで出掛けるような数寄者には決していらっしゃらないと確信している(そもそもそんな人自体いないか)が、水場は定期的に人の手が入り清潔に保たれている。お分かりですね。

 前回のエントリでは「湧き水に対し人は闖入者である」と述べたが、実際のところここまでごんごんと湧き出されてしまうと人ひとりの存在なんて自然の前では取るに足らないものであることを実感する。仮に、仮にの話ですよ奥さん、ここに仁王立ちになって立ち小便をかましたところでこの大量の水にまぎれてしまうだろう。一人の人間が自然に及ぼすことのできる影響なんてそんなものだ。だから立ちションをしていいのか。悪いに決まっている。それはなぜだ?という倫理を問い直す場でもある。成分分析票などはないが生水で飲んでもたぶん平気平気。お子さんには夏休みの宿題にpHを測ってみるなどして、ぜひ湧き水の素晴らしさに触れてみてほしい。是が非でも触れてみてはいかがでしょうか?

 

 全くの余談になるが、この記事を書いている最中にディープインパクトの訃報のニュースが入ってきた。日本競馬界の至宝、ディープインパクト。彼の子供が今年も生まれ、来年もまた生まれ、さらに生まれて、いつか彼を上回る(それは奇跡を少しだけ上回ることを意味するのだが)馬が現れるのだろうことをぼんやりと、当たり前のことのように感じていた。彼のいささか早すぎる死はこの夏に大きな穴を穿った。夏はいつも喪失の物語を持ってやって来て去っていく。ここに哀悼の意を捧げたい。

 

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 最近はさよならポニーテールの新譜がヘヴィーローテーション。以前からよく聴いていたが、曲の傾向が多岐にわたり、がために世界観にばらつきがあって、ボーカルのクセ(ブレスの素人感を隠さない)なども相まって実はあまりのめり込めずにいた。しかし今作「来るべき世界」はその辺りが全てうまくピースにはまった感じがあって納得の一枚。特に「いつか夢で」(黄昏の森/走って踠いて/見たのは/雲間に差す光のダンス)はさよポニの持つ世界観を限界まで凝縮したむき出しの特異点のような曲。湧き水を汲みに行くのはこの曲が歌っているような、夢の中にあるような場所を探している側面もあるのかもしれない。ゆゆかわいいよ永遠だよゆゆ。さらにメインボーカルみぃなの楽曲の咀嚼が飛躍的に深化している印象(「空飛ぶ小熊、巡礼ス」「やせっぽちのメイリン」「世界のはじまり」)。各曲に乗せられる彼女たちのコーラスにも胸を締めつけられる(さよポニの提示する"青春"とは個人的には中学生時代の合唱と呼応するのだろう)。「世界のはじまり」のいつかどこかで聴いたはずの、人生を概括し祝福するコード進行とサビでのなっちゃんの吐息には涙を禁じ得ない。そして「愛のひらめき」で2番の歌詞に現れるゆゆ。ゆゆ永遠。