water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

水戸市田谷町の湧き水[水戸市田谷町]☆☆

 
 幼い頃、母に手を引かれ歩いた道。成長し、その道をふたたび通りかかったときに、道端に湧き水を見つけて懐かしさとともに新鮮なよろこびに浸るという経験は、誰しも一度ならず幾度もなさっていることと思う。あ僕ですか? いや僕なんかは久しくないですねえ。何せ近場の湧き水なんかはあらかた見に行ってしまっているからねえ… もう山奥の奥〜の方にでも探しに行かないことには、僕の見たことない湧き水なんてないんじゃないかなあ〜。
 
 なんて高くくっとったわけです。しかしつい先日、見つけてしまったのですよ。何度も通りかかっているはずの道で。湧き水を。すわっ、すわわわっ。という驚きとともに。
 その場所は水戸市のはずれ、那珂市との市境に程近い田谷町のとある坂道だった。
 

 
 なんで今まで気づかなかったんだろうと頭を抱えるくらいに、あからさまに水が出ていた。
 
 気を取り直し、そして入れ直して、水場に"取り付く"。
 
 
 外見はオーソドックスかつ典型的な、法面工事の際に湧出したであろう水場である。湧出量もさして多くはない(この日はきわめて細かった)。ただ、地形的に見れば、ここは那珂の台地のへり。那珂市工業団地西の湧水(http://d.hatena.ne.jp/water_sky/20140509/p1)、軍民坂の湧水(http://d.hatena.ne.jp/water_sky/20140520/p1)、鹿島の湧き水(http://d.hatena.ne.jp/water_sky/20140505/p1)、ここで紹介してはいないがひたちなか市堀口の加波山瀧などをつなぐ地点に位置するわけで、ここに湧出していても何ら不思議なことではない。
 傍らには水質検査の結果表が置かれている。そこには「田谷町地先 山根地区湧水」という記載。山根地区の湧水という名前なんだな。検査はカドミウム、水銀、ヒ素などの有害重金属6項目に加え、放射性物質検出結果における成績表で、いずれも水質基準を下回り、ほぼ不検出に近い値といっていいだろう。たとえば軍民坂の湧水では硝酸性窒素の値が比較的高めに出た。この湧き水もロケーションとしては近いものがあり、検査項目にはなかったものの、おそらく値としては低そうだ。付近には住宅も点在し、湧水点上部も田畑や建造物があるものの、比較的森林に覆われている。
 いや人生、どこで何を発見するのか、そして自分が普段何を見落としているのか分からないものだ…と思いつつ、ふと反対側に目をやると、民家ごしに池が見えた。すわわわっ、池か。何となく気になって、周囲の探索を開始する。
 
 すると、細い道の脇に、おそらく池の水源と思われる湧水ポイントを発見!
 
 
 井戸が設えられ、さらに付近の地中からも水が湧き出ているようで、それがたまりをつくり、下流へ細々と流れ込んでいっている。カシやヒノキに覆われ、辺りは薄暗い。脇には小さな祠もそなえられている。地図で見ると、その流れはひとつ細長い池を形成し、一度地面に伏流するようなかたちでさらに下部の先ほどの池まで流れているようである(もともとひとつの池としてつながっていたようにも見える)。
 道沿いにさらに進むと見えるのが、水戸市最北端の水道施設、「国田配水池」だ。
 
 
国 田 配 水 池
 
 水戸市の水道施設の配水経路は北東部の「楮川系」と南西部の「開江系」の2つに分かれており、国田配水池は楮川ダムから配水される楮川系である。戦後に本格始動した水戸市の水道拡張事業の第四期目に造成され、給水能力は1500㎥とされる(同時期に造成された千波配水池は10000㎥)。
 池はこの配水池の下にあり、湧水を利用した調整池なり灌漑利用なりのものなのかもしれない。
 
 
 さらに付近には、国田地区簡易浄水場(たぶん跡地)。畑の隅に半分朽ちて佇んでいる。市の資料によれば、「1963(昭和38)年 国田・柳河地区に簡易水道給水始まる」とのことなので、その時に造られたのだろう。国田配水池が造成されたのが1979年なので、その時に機能をスイッチしたのだとすれば、わずか15年程度の稼動。都市化に伴う水戸市の水道事業が急速に発展拡大していったことの証左にも思える。