三春の滝桜も葉桜となり(23日現在)、今年の福島の桜も終りを迎えようとしている。福島の桜というとまずは滝桜のある三春町が筆頭に挙がると思うが、40キロほど南に位置する石川町も三春に劣らず、いや密集度合いからすると三春をしのぐほどの桜の名所である。
白河といわきを結び、コメや塩の輸送経路として多くの往来があった御斉所街道*1が町内を東西に横断しており、その道をひとつの軸として見ると歴史ある「高田桜」をはじめ実に数多くの桜が植えられており、それらを網羅したHPも作成されている*2。
町内を車で走れば桜を見ない瞬間はないというほどの桜の町。そんなわけで以前からどっさり桜の写真をストックしてあるのだけど、御斉所街道を東進して古殿町に向かう途中の街道沿いに位置する「惣徳寺の桜」。今年久々に訪れてみて、改めてその美しさを実感したので、ご紹介してみたい。
「谷内の桜」を見に行って、タイミングはまあまあかな、これから満開かな。なんて落ち着いて見上げているが、気はそぞろ。向こうの丘の上に淡くこんもりとした物体がちらちら視界に入ってくる。そのうちに朝陽が昇ってきてそれを照らすと、下界に暮らす僕のような下々の民などまるで気にする素振りもせず、天空に向かってその肢体を大きく晒した。「惣徳寺の桜」がゆっくりとお目覚めだ。
上で紹介した町内の桜を網羅したHP「いしかわ桜めぐり」を参照すると、惣徳寺の桜は樹齢250年のヤマザクラで、その名の通りお寺の桜として植樹されたようだ。現在では小さな堂宇と古い墓のみ残されている。
御斉所街道のすぐ脇の丘に立ち、里を見守るでもなく空に舞い上がるでもなく花を咲き誇らせる惣徳寺の桜。街道ではそれを見上げるでもなく仕事に向かう車。これが石川という町。石川町の朝が今日も始まったのだ。観桜などといって桜から桜へ、町から町へ移動してみても、それは桜と町の関係のごく一部分を目の当たりにしているに過ぎない。それが美しいのはいわば当然、旅人の一視点に過ぎないのだ。桜と町、そこに住まう人のお互い無関心な関係、ありふれた朝。その朝の清冽な空気。桜に背を向け職場へ、学校へ向かう人々が朝放たれた光によって影をまとう。そのコントラスト。それらを吸い込み、目に焼きつけ、僕は次の桜へと向かう。ここにとどまっているわけにはいかない、その"ありふれた光"はすでにとどまることをやめ中空へと躍り出ているのだから。
大人とは、"レシーバー"になるということ。を歌った曲。
*1:御斉所街道については福島民報のHPが詳しいhttp://www.minyu-net.com/serial/kaidou/FM20160207-048169.php
*2:町の地域づくり推進課が作成した「いしかわ桜めぐり」。かなり充実してますhttp://www.town.ishikawa.fukushima.jp/sakura/。