water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

「龍の歯医者」の感想といい感じで思惟なさる仏さま

 このところはずっと「龍の歯医者」について考えていた。放送終了直後からすぐれた考察がブログ各所で展開されているようなので、今さら何か書くというのも恥ずかしいことではあるが、自分なりにまとめられる部分だけでもまとめておきたいと思う。

 「龍の歯医者」は、何らかの理由で「黄泉がえり」として生き返った敵国の兵士ベルが、龍の歯医者である野ノ子たちとの出会いを通じて自らの運命に目覚めるという物語だが、野ノ子とベルの2人に込められたメッセージ、また主題歌が小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」であることの意味は、あまりに明確である(なぜ後編で野ノ子があれほど頻繁に不機嫌な表情を剥き出しにするのか、なぜラストがベルのモノローグなのか、なぜ2人ははなればなれでラストを迎えるのか等々)ので、ここでは「龍とは一体どういう存在であるのか?」について考えてみたい。
 結論から言ってしまえば、龍とは生と死のサイクルが連綿と紡いできた死生観そのものであると捉えてしまってよいだろう。あるいは、人間にもたらされる不可避で不条理ともいえる"運命"、その人智を超えた力の流動の象徴として、龍は存在している。人智を超えた力の想定ということでいえば、それは宗教のようなものかもしれない。前述した死生観は、仏教とその思想を無意識にせよ土台としてきた日本人なら(この言い方も語弊があるが)、あるいは易々と想起できるだろう。ブランコが聖域に乗り込んだ際に行く手を阻んだ神主?たちと対峙した時に「坊主とは話が合わねえ」と言い放ったことが端的に表しているように、また「死者が蘇るなんてふざけた話」と言うようにキリスト教をも否定しているように見えることから、ブランコは無神論者として龍を否定するために描出されているように思える。
 ブランコの目的とは何か。それは1000年続く龍と彼の国との契約そのものを消し去ることだ。ブランコの力とは、「死なずのブランコ」といわれるように、銃弾に決して当たらないという強い意志だ。自らの意志が力となって未来を切り拓く。この強く勇敢な生のあり方が、死を否定し拒絶している。龍が象徴している生と死のサイクル、その死生観と真っ向から対立するのがこのブランコの思想だ。
 龍を忌むという意味で、同じことが柴名にもいえるだろう。柴名は12年前に現れた天狗虫にほぼ全ての仲間はおろか、恋い慕っていた相手すら殺されてしまう。自らの運命を受け入れる龍の歯医者であるからこそ余計に、この無残で不条理な運命には耐え切れないものがあっただろう。柴名はタケモトさんが自らの犠牲の上に守った龍に対して愛憎を深めながら(龍の歯を自分の歯に埋め込み、そこで虫歯菌を飼う)、ブランコと結託して龍の歯医者を消し去ろうとする。龍の歯医者とは、自らの運命を了解しそれを受け入れる生き方。それによって柴名は耐え切れないほどの悲しみを味わった。それを消し去りたいと思うのも無理はない。だが最終的に取った行動は、龍の中にあるタケモトさんの魂を手に入れるために、龍の中へと入ってしまう。忌み嫌うはずの龍との合一は、その愛憎が極点に高まったことの現れだ。
 そして龍の歯医者たる悟堂は、そんな彼らのやり方を前にして、「勇敢だねえ」と言うのである(たぶんブランコと対峙してもそう言ったんじゃないかな)。運命に抗うことは勇敢なのだ。諦めきれずに飛び去る柴名に「いつか実を結ぶこともあるかも、だ」と言うように、否定したりはしない。いまある生の中でどのように生きるか、龍の歯医者とはそのことを見つめる者たちだろう。

 なかなかメタ視点で書くことができず、書きたいことの半分もろくに書けないのがもどかしい。最後に、この作品はいくつものテーマが底流にあるが、短い時間の中でそれを十分に掘り下げてはいない(その観点からの批判自体は可能だろう。だがそのことがこの作品の本質的な瑕疵となるのかはまた別問題だと思う)。そのひとつに両義性を挙げることができよう。運命を受け入れる/抗う。というふたつの生き方のせめぎ合いがこの作品の大きなテーマであると言っていいし、それは戦争のシーンにまで敷衍されている。戦争という多くの人命を不条理のもと奪う行為は悪には違いないが、その中にあって生き生きと輝いたであろう数多の魂をもともに否定することに躊躇の念を覚える。このふたつの思いを両存させあるいは止揚しながら、わが国の「戦後」を捉える胆力というのは21世紀をもってしてもいまだ十全ではない、というよりも、どんどん退化していっているようにも思える。この「龍の歯医者」という作品は、善悪や正邪の判断の及ぼしがたい領域において、それでもなお自らを突き動かすものに従うことの意味に一筋の光を投げかけている。
 


那珂市。いい感じで思惟してなさる端正な仏さまと出会った。申し訳のように鼻の部分が削り取られている感じがあるが、状態が極めて良い。
天保9(1838)年建立とのこと