water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

弁天名水[二本松市木幡]☆☆☆

 福島市から適当に走って南下していると、「隠津島神社」の大きな看板を発見。山の中の神社と聞くとわりと目がないので、ニョロニョロと細い山道を上がっていく。その途中の道端に湧き出ている。

 
弁 天 名 水
 
 湧出量はなかなか豊富で、勢いよく水が出ている。口に含んでみると、若干鉄分が多いかなという印象があった。麓では、この弁天名水を仕込み水に使った日本酒も販売されている。
 
 ここからさらに道を上っていくと、隠津島神社の駐車場に到着。あたりに家々はなく、杉林に囲まれて深山の趣。休日明けの比較的早い時間だったので、人の気配も全くない。そして一番上の本殿までの道程を示唆するがごとく、いきなりの長い階段。ま、せっかくだから登ってみましょ…。と中途半端に意を決して、とぼとぼと階段を登り始める。
津島神社の旧社殿・木幡山門神社本殿。本宮再建の際、中腹に移設された 樹齢800年といわれる国指定天然記念物・木幡の大杉
三重塔。福島では現存する三重塔は珍しいらしく本基を含めて3基のみ残っている 参道から遠くの山を望む
 
 数多くの史跡が点在する登り道をゆっくり上がっていくと、最後にまた長い階段が待ち受け、それを登り切れば本殿に到着。案内板では駐車場から本殿まで10分とあるが、気分的には軽い登山でもしたようだ。
 
 
隠 津 島 神 社 (拝殿)
 
 詳細は木幡山隠津島神社の公式HP(www.okitushima.com/)やwikipediaを参照していただければと思うが、両部神道修験道に強い影響を受けたことが社伝にも記載されているし、境内を歩いていても明らか。江戸時代に入封し社殿の修復・造営などを行った二本松藩主丹羽氏が再興の道を開き、仏教との密接なかかわりを経つつ現在のかたちへと成立していったようだ。延喜式神名帳に記載されている式内社「隠津嶋神社」の論社に比定され、他に郡山市湖南町(http://d.hatena.ne.jp/water_sky/20161117/p1)、郡山市喜久田町に同名の神社がある。
 
 御祭神は隠津島姫命、田心姫命湍津姫命の三柱で、いわゆる宗像三女神日本書紀では隠津島姫命の別名が市杵嶋姫命とされており、この市杵嶋姫命は本地垂迹において弁財天と同一の存在であるとされる。ところでこの神社はかつて平城天皇の時代より「隠津嶋神社弁財天」と称されており今でも「木幡の弁天様」といわれているように、弁天名水の名の由来は神社の歴史の深さに根ざしているのであった。
 
 ちなみに、本殿の奥にも境内社がずらっと並んでいるのだが、さらに奥に続く山道があって、平安時代にお経を埋めた跡という経塚を見に行くことができる。が、ここまでくると参拝というより本当に軽登山になってしまい、足が筋肉痛に。とはいえ木幡山の原生林の中に入って紅葉が楽しめたのがよかった。他にも自然の石に彫られた三十三観音や麓の一の鳥居をはじめ、見どころは多い。半日かけてゆっくり回りたいところ。
 
  
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 帰りは来た道と反対側へ山道を下り、R349へ。
 道端に庚申塔を見つけたので車を停めて眺めていると、近くの畑で農作業をしていたおばあさんが話しかけてきた。
 「じゃねぶりいしかい?」と一瞬ものすごい方言で話しかけられているのかと狼狽しかけたが、今眺めていた庚申塔の脇にある石を「じゃ(蛇)ねぶり石」というそうで、それを見に来たのだと思ったそうだ。
 

 おばあさんの話では、昔、ここより近くの夏無沼というところにいた大蛇が、雨が全く降らなくなってしまったために、傘を差した女へと姿を変えて土湯温泉の女沼(http://d.hatena.ne.jp/water_sky/20161118/p1)へ逃げていった。その途中で、この石をねぶっていった。それでこの石はこのようなかたちになった。ということだ。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースにも、当地における似たような話が記録されている(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2480009.shtml)。
 以前にも新聞とか二本松市の市報のようなものに掲載されたそうで、それで見に来たのだと思ったとのこと。
 おばあさんは家族で民宿を営んでおり、この日は大学生のお孫さんが帰省して畑を手伝いに来ていて、うれしそうに話してくれた。今度泊まりに来てちょうだい、と言われたので、ぜひ訪問したいと思っている。
 
 


津島神社第一社務所の紅葉。今年は各所の紅葉は結構良い方かもしれませんね