water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

後藤の清水(東藤不動王尊の湧水)☆☆☆☆

 国道294号線を北上していくと、東に天栄村役場を見るころに道路は西へと進路を変え、やがて南下してきた国道118号線と刹那ぶつかったあと山を登り、峠を越えて猪苗代湖西岸を走って会津若松へと至る。今回向かったのは、R294が西進しはじめてR118とぶつかるまでの丁度真ん中あたりの地点に湧く清水である。

 このあたりは雪のせいで浸食が激しいのか、絵に描いたように起伏のある山々が目を楽しませてくれる。明神山(548m)を左に過ぎるとすぐ十字路があり、そこを左に折れて奥へと入っていく。
 山あいの道はよく整備されている。でも少し行くと崖の崩壊が起こっていて、田圃の中に急ごしらえされたのだろう、迂回路がくねっていた。
 そこから湧き水へはまもなく。国道から入って2キロほど。たどり着くと、ちょうど散歩中のおばあさんが、手押し車を脇に止めて手酌で水を飲んでいるところだった。

001.jpg このあたりは「後藤」といい、湧き水の名前もその地名にちなんでいる。国道からさほど離れているわけではないけれど、山に囲まれてとても静かなところだ。聞けばさらに奥には20軒足らずの家々があり、子供もいて自転車で毎日学校に通っているそうだ。
 おばあさんは外から嫁にやって来たが、この数十年というもの、出ていく嫁は一人もいないということである。おばあさん笑って曰く「外へ出ていく道が一本しか無えから、出てってもすぐに捕まっちまう」
 駆け込み寺でもあるまいし、捕まる捕まらないは嫁が出ていくことの本質ではない。おばあさんの言を借りるなら「住めば都。と言うけれど、ほんとにここはいいとこだよ」里のやさしさが、人にも宿るのだろう。
 ただ、その一本道は先の地震の際に崖崩れを起こし(実際には直前に山の中を通って国道へ抜ける道があるので、陸の孤島化は避けられたようだが)、食糧の確保などは相当難儀したのではないか。石川町のほうへ避難した家もあったらしい。「もう少し奥で崖が崩れていたら、閉じ込められっちまうな」とおばあさん。一帯はむかし竹林だったそうだが、今は植林されたスギやヒノキで覆われている。

 さらにはこれから本格的に降り出すであろう雪もある。でもそう言っても、おばあさんは慣れたもの、と言った感じで「だけども、ここは住むには一番いいとこだよ」と言った。
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 はじめ4Lのペットボトルを手に携えていたが、車から20Lのタンクも取り出すと、おばあさんは笑って「いっぺえ汲んでがんせ」と言って手押し車を押し、家路に着いた。すると道の向こうから飼い犬が迎えに現れ、しばらく雪の中をくんくんしたあと、おばあさんを追いかけて帰っていった。

 さて肝心の「後藤の清水(東藤不動王尊の湧水)」だけれど、斜面を少し上がったところ、木の根元のあたりから湧出し、斜面に抉られた溝(おそらく人工だろう)を通って竹の樋を伝っている。水はゴミの混入もなくきわめて清冽(夏は冷たく冬は温かく)、味もほのかにまろみがある。004.jpg おばあさんの話では、石切り場があったらしく(今もある?字名にもなっている)、そこで石を切って山向こうまで出していた職人さんが、ちょうど通りかかる湧き水のところで休憩をして、日ごろの感謝にと不動尊を建てこれを祀ったそうな。不動尊が建ったのは平成とのこと。夏になると水汲みの客で車が列をなすらしい。

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 穏やかな時の流れに紛れなく「住めば都」を見いだす、山あいの静かな里、後藤。そこにゆるやかに流れる「後藤の清水(東藤不動王尊の湧水)」である。目を閉じて、里に流れ落ちる水のかすかな音に耳をすませてみよう。

 (12.12月訪問)