water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

清水久保の清水ほか[白河市大信]☆☆☆☆

 今年も夏が終っちゃいました。ある日の夜、前触れもなちょっと待ってくださいね。最近あまりにページの読み込みが遅いので俺のポンコツPCもいよいよガタがきたかな、と思っていたら、どうも常用ブラウザのchromeが何やら「サブフレーム」というものをいくつも立ち上げており、それが動作を重くしていたみたい。余計なことしやがってもう!…とサブフレームの各名称をにらみ付けると、twittersoundcloudspotifyYoutube等々… ごめんなさいね、アタシがこのブログで利用しているサーヴィスのせいで重くなってるんじゃありませんか。アタシが動画やら音楽やらを脈絡もなくペタペタ好き勝手に貼り付けてるもんだから重くなってたのね。対策として1ページあたりの記事表示数を7から3に減らしました。これで少しはもつでしょ…。訪問者の方にも今まで以上に快適なブラウジングを楽しんでいただけることと思いますがいかがですか………(無言)。

 今年も夏が終っちゃいました。ある日の夜、前触れもなくざあっと雨がやって来て、日中森の奥深くでゲリラ戦を仕掛けていた蝉たちを容赦なく打擲して殺していきました。その後の静けさは岩にしみいるなんてものではなく、森全体が死んだかのようです。日本には古来より季節の移ろいを「四季」という言葉で表してきましたが、もう一つあるのをご存知ですか。夏と秋の間に「夏の終り」という季節があるのです。低くたれこめる雲はもはや生気を失って漂い、夏の残党たる蝉たちはさらに森の奥へと追いやられて行き場を失い、やがて消えてゆく。そのプロセスが日一日と手に取るように感じられる短い季節です。夏が持っていた豊かな季節の階調が維持できなくなり、8bitのぎざぎざした画がやがて最後のモノクロの雨で終結するまでの、短い短い季節です。どこまでも続く気がしてた青い道が気づけば消え失せ、風の訪れに心の拠りどころない軽さを覚える、短い短い短い季節です。そろそろグレイプバインのこの曲を貼っていいかな?

 さて(と何かひとしきり書いたような気分で)、前回「飲み干せコロナ」キャンペーンと題してはいないのですが、昨年行って印象深かった福島の湧き水をご紹介しました(中島の清水[白河市大信]☆☆☆☆☆ - water_sky’s waterbound diary)が、今回はその続きです。夏が終ることの恐怖で夏真っ盛りの中クーラーもつけずじっとしていたら1カ月たって夏終っちゃいそうですけどね。今年もひときわ暑かったですねー。新型コロナのおかげで私個人は居心地悪くなかったですけどね。夏競馬はほんとに大変だった。毎年難しいわ。

 

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 「中島の清水」から国道294号に戻り、白河市街地へと南下します。今回ご紹介するのも福島民報社から出版されている名書「ふくしま湧水物語」に載っている湧き水なのですが(他に知っている湧き水などない)、採石場跡地に湧くと書かれている。果たして採石場跡地は見つかるわけですが、 国道沿いにしばらくうろうろ探しても見つからないのは道路を挟んだ反対側だからなのでした。よく見れば道路脇に1,2台程度車を停められる程度のスペースがあり、その下に流れる小川のところに湧いていました。前書でも指摘されているが「えっ、こんな場所に?」というロケーションではあるので、なかなか気づきませんでした。

 

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  名称は字名からとったようですが、その名の通り窪地に清水が出ていたのが由来か。太い塩ビのパイプからは、ロケーションとは釣り合いがたいほどの量の水が湧出しています。これは驚いた。湧出点の奥はしばらく林になっていて山がせり出してきているようでもないので、崖線型ではなく地下水の湧出でしょうか。温度は冷たく雪解け水の感じもあり、中島の清水と同様に西の険しい山地から下ってきているのではないか。難点としては湧出点が低いため、若干水汲みがしづらいところでしょう。

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 訪れたこの日はちょうど地元の方が汲みに来ており、いつもこの水で米を炊いたりお茶を淹れたりされているそう。ちなみにこの方は中島の清水はご存知ないようでした。まあそれはそうかもしれない、だって近所の道路脇にすぐこんな良質の湧き水があれば、他を知っていなくても十分なんだもの。

 こういう何げない場所に豊かな水資源の恩恵がある。みちのく福島のポテンシャルがいかに大きいものか、容易にうかがい知れるというものです。

 

 気を良くした私が続いて向かったのが、同じく白河市の「薬師の清水」。旧大信村エリアですが国道294号から東に向かった場所です。

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 が、残念! 立派な屋根が付いてはいるものの、水は涸れていました(2019年5月現在)。前書では目印として樹齢300年にはなろうかという「薬師の松」が立っているとのことでしたが、記憶によればそれも見当たらなかった。

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 いささか煮え切らない結末に、このままでは帰れない。と、もうひとつ向かうことにしました。「清水久保の清水」で出会った地元の方に、さらなる湧き水がないかとそれとなく探りを入れていたのです。すると山を越えた久田野という地名のあたりにあるという談話をゲット。現地で湧き水情報を仕入れるほどシビれるものはないですね。

 早速向かうも、何の取っ掛かりもないようなだだっ広い田畑地域に出てしまった。ちょうどチルド商品の配送時間帯で忙しそうに陳列を行っていたコンビニの店員さんに迷惑にも聞き込みを行うと、店の外で指差されたそこは私が先ほど通ってきた道路沿いであった。

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 こちらは個人のお宅で管理されているような感じです。奥を覗かせていただくと、山から下ってきている沢の水を林のへりで溜めて、そこから土手まで通しているようです。畑のすぐ脇ですし、何かと便利でしょう。のどを潤すにも最適ですが、汲むにはちょっと…ね。分類としては「ワキミズモドキ」に当たるかと思われます。ただ、こういう何げない水場があることが、非常に豊かであるというか、エキサイティングだと思います。ミズクミストの端くれである私ですが、汲めない水もまた、湧き水である。という格言めいた一日の感想を漏らし、満足して帰途に就くのでありました。以上、昨年行って印象深かった福島の湧き水編、おわり。

(2019.05訪問)

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 夏に何の思い出もない私にとっても、夏の終りはやはり毎年つらいものです。遊びを知らずとも根はキリギリス、これから長く厳しい季節がやって来ることを、それが人生の暗喩であることを悟るまいとして音楽に耳を傾けるも、心は千々に乱れる夜。そんな季節のささくれを静かに慰撫してくれる音楽に出合いました。

 moonchildはネオソウル以降のR&B色の強いチルアウトでメロウなサウンドが特徴で、雑に言ってしまえばお洒落で耳馴染みのよい音楽というのが僕の印象だった。今までは作業中のBGMとか運転中にサラリと聴くことしかしなかった。演奏する3人はいずれもマルチプレイヤーということで、その器用さが耳馴染みのよさにもつながり、楽曲もたぶん上品なテクニックなどが駆使されているのだろうが際立った特徴というか引っかかりがないぶん「どこかで聴いたような」という印象の方が強く感じられてしまっていたのだが、上の動画を観てから彼らの音楽が持つ美しい響きに遅まきながら気づき、胸の深いところでじぃぃぃんと感じ入ることができるようになった。2曲目の「The Other Side」は、訳すれば「隣の芝生は青い」と言っているのだけど、これが男女間の愛情の比喩として歌われていて皮肉というかウィットが利いているのだが、浮かんでくる映像はまさに青々と繁る芝生が薫風の中でどこまでも続くような、美しくどこか哀しさをたたえたものであった。先に言った「どこかで聴いたような」という印象が、ここで過去の追憶とか現実に対するずれ、あるいは「The Other Side」というタイトルの持つ、つまり「ここではないどこか」を想起させ、彼らはそれらどこかで見たような、聴いたような景色を求めて音をなぞる、まるで月の裏側を旅する人々なのだろうか。と思われた。「money」の「I'd put my money on you/Baby it's 'bout time」という歌詞に耳を傾けてほしい。僕のうつろなそんな甘い幻想が、冷たい現実という他者によって愛という刃を入れられる。彼らは月の表面の冷たさをも熟知していたのだ。そのざらついた感触が、夏の終りの色の失せた夜には心を慰撫してやまない。