water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

五斗蒔田桜[郡山市中田町木目沢]

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 2020年の桜の開花予想が発表されましたが、暖冬の影響により東京などでは記録的な早さになりそうとのことですね。福島でも3月中ということで、新型コロナウイルスの猛威さめやらぬ中、三春滝桜なんかは例年と比べると結構見やすいんじゃないかな、とぼんやり考えていました(東日本大震災の年は例年の5分の1の人出と言われていたけど、それでもやっぱりすごい人の多さでしたからね。あの年と比べるとどうか。実は例年ともあまり変わらないんじゃないかと思ったりもします)。

 それでふと、去年見て回った桜のことを思い出しまして、まもなく始まる開花に先駆けてこれから数回に分けていくつかご紹介していきます。このシリーズでは主に郡山市周辺の桜の紹介になるかと思います。

 

 今回は「五斗蒔田桜」。ぱっと見て何と読むのか少しとまどってしまうような字面ですが、「ごとまきだ」と読むそうです。一昔前のアイドルの名前みたいだなんて野暮なこと言っちゃあいけません。もう一昔前どころかふた昔以上前の話です。今も変わらずお綺麗で昔より断然今の方がいいですけどね。これは地名から取ったそうで、「五斗蒔」で検索してみると『ちょっとしか米が獲れない(やせた土地)』を指すとか『種籾を五斗(一斗缶18L×5)蒔く』ことだとか出てきます。現地に行ってみると、確かにあまり稲作に適した土地の広がりがあるわけではない、山と丘の連なりといったような辺鄙な場所ではあります。その一角の丘にあるのが、この五斗蒔田桜です。

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五斗蒔田桜

 数キロ北にはあの三春滝桜、さらに紅枝垂地蔵桜など名だたる桜がひしめくエリアとなっていますが、その中にあって訪れる人も少なくゆっくり見物することができることで有名なこの桜ですが、この日私が到着した時には他に何組かの見物客と、20人くらいの団体さんが来ており、桜の下では撮影会が行われていて、うわ、うぜーーー^^実に賑やかな花見となりました。講師の方が声をかけてアドバイスしながら、皆さん写真を撮っておられました。こういう撮影会をじかに見たことはなかったので、うわ、うぜーーー^^なかなか興味深かったです。彼らに混じってちょこちょこ動き回り最適なアングルを探す。

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 道路側の正面から見るとバランスの取れたどっしりした姿ですが、下から見上げると顕著なように角度によってはちょっと傾いて見えるんですよね。視点をいろいろと変えてみることで、さまざまに移り変わる桜の表情が楽しめます。まあそれは他の桜にも言えることで、そこが桜を愛でることの醍醐味なわけですが。

 今回みたいに団体客さんなんかが一斉にカメラを向けているとなおさら、よし自分はもっと違うアングルで桜を仕留めてやろうじゃないかと張り切っちゃってコソコソ動き回るんだけど、結局は正面からの安定したアングルで撮ったのが一番きれいだったりするもんです。

 

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 話によればこの桜は付近に馬頭観音が建っていたので「馬頭観音桜」という名前になるはずだった、ということだったので探してみましたが、木の西側の根元にちょこんとありました。樹齢は150年や350年という説があるシダレザクラで、三春滝桜の子孫だということです。

 

 五斗蒔田桜を後にして、次もひっそりと佇む美しい桜の姿をご紹介します。ネットではもちろん情報出てはいるのだけど、できればあまり世に出したくはない、目の前のこの風景独り占めしたい。そんな桜です。次回をお楽しみに。マスクがなければないでいいじゃない。

 

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 最近よく聴いているのはベン・ウィリアムスのニューアルバム「I AM A MAN」より「If You Hear Me」。

 

 

 ベン・ウィリアムスはロバート・グラスパーをはじめとする数々のミュージシャンと共演してきたベーシストだが、今作は本格的なヴォーカルアルバムを制作。前作のスタンダード曲「Moonlight In Vermont」の現代的で斬新な解釈には驚いたが、その歌心が存分に発揮されている。特に「If You Hear Me」はネオ・ソウルの歴史を踏まえながら、冒頭のパーカッションとそれに続くシンセの音色から明らかなように自らのルーツを描出し、また改めて探し求めており、それらの飢餓的な交差はあまりに深い場所を照射している。さまざまな歴史・人種を包含してきた英語の指す「You」はあまりに複合的な意味合いを持ち、それがベースにある音楽と比べたときJ-POPがいかに「LOVE」の概念を換骨奪胎して奇形化したのか改めて痛感する。決してそれが別に悪いことでもないところが逆にJ-POP(的なもの)の(底なしの?)底力ともいえる気はするが。アウトロのマーカス・ストリックランドがかっこいい、久々に骨太なアウト加減が。でもマーカス・ストリックランドってライブだと結構プレイが雑、なんて言うと素人のくせに怒られちゃうけど、小器用ではないですよね?