water_sky’s waterbound diary

酒に溶かしたやり場のなさと打ち明けられた愛のあいだ、泥の川とディラックの海のあいだ

ワキミズモドキ#水戸市

 先日、といっても昨秋のことだが、水戸市の北端に近い、とある小道をジョギングしていた。あんまり人が走るようなところでもないが、以前から何となく思っていたのだ、「何かあればいいな」と。何かありそうな気配が無いでもなかった。それで自らの足で走って”実地捜査”を行うわけにしたのだが、実際あるってなかなかないですよ。何がって、ワキミズモドキですよ。

 

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 よく観察してみると、湧き水のように見えた湧出口は斜面から滲出してくる水をせき止めて段状にし、そこにホースを差し込んで水を通しているようだ。木材を使ってたまりを作ってもいる。

 

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 周囲は台地のへりに沿って鬱蒼と茂る森。その一角にこのワキミズモドキは存在する。ここら一帯、至るところから水が滲出してきているのだった。

 

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 水戸市の湧き水といえば「小沢の滝」や「曝井」など、台地の崖線に数多く存在するが、このワキミズモドキも例に漏れずその崖線の延長上に現れているといえる。ここからぐるりと崖に沿って歩いていけば、いったいどれだけの湧き水を見つけることができるやら。

 

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 最近パット・メセニーを聴いていて、というのもそれほど聴いてない(アルバム1枚しか持ってない)からだが、こんなに素晴らしいタイトルの曲があったかとびっくり。降り続く雨の景色が似合いそうな冒頭部はまさに僕の抱く「世界の終り」とぴったり。そのうち曲のボルテージが上がると、パット・メセニーのギターソロでそれは頂点に達する。その咆哮を止めるには世界を終らすしかない、とでも言わんばかりの雷鳴で曲はストップ、しかしそれでも世界は終らない。そう、世界の終りが永遠に続くのだ(「世界の終りの静かな呼吸」という概念を、君は知るだろう、だが愚鈍な君が知ることはない)。そこからは本当に雨が降り出し、鳴っては消えてゆくタンバリンの示唆的なリフレインを聴きながら曲は冒頭の予兆をはらんだ安定部に戻り、終幕を迎える。パット・メセニーの提示した素晴らしい世界の終末観をじっくり堪能しよう。僕はこれを聴いたせいか、落ちまくる雷に取り囲まれて動けないという酷い夢を見た。